

日本語教育の歴史を軸に、三つの帝国支配が形づくったフィリピン社会と人々の記憶を紐解く
日本語教育の歴史を軸に、三つの帝国支配が形づくったフィリピン社会と人々の記憶を紐解く
木下 昭准教授
支配や戦争の経験が、
現在の社会や人々の意識に与えた影響を探る
木下准教授は、フィリピンにおける日本語教育の歴史と、その経験がどのように記憶されてきたのかを研究しています。さらに、日本だけでなく、スペインやアメリカによる統治にも視野を広げ、三つの帝国による支配が重なり合うなかで、フィリピン社会や人々の意識がどのように形成されてきたのかを考察。過去の出来事を現在の価値観だけで判断するのではなく、当時の状況やさまざまな立場を踏まえて捉えることを大切にしている点も、大きな特徴です。

過去の記憶は一つではない。
日本人教師とフィリピン側、それぞれの記憶。
国際社会学や歴史社会学を基盤に、人の移動や異文化との接触による社会や人々の意識の変化を研究している木下准教授。現在はフィリピンを中心に、日本統治時代の日本語教育と、その記憶に注目しています。同じ出来事でも、立場によってどのように記憶されるかは大きく異なるからです。研究の手がかりとなるのが、戦後に日本人教師たちが残した記録。何十年も経ってから書かれた史料には、当時の出来事だけでなく、過去を振り返るなかで生まれた認識や解釈も刻まれています。
「そこには、戦争や日本による占領・支配そのものよりも、『自分は子どもたちに日本語を教え、教師としてできることをした』『生徒たちといい関係を築いていた』といった、教師と子どもとの関係が強く描かれているものが多くあります。なかには、自分が病気になった際に教え子たちが見舞いに来てくれたことや、戦後、再びフィリピンを訪れて教え子たちと再会し、歓迎されたことを記している人もいました」
いっぽう、フィリピン側の記憶は一様ではありません。日本による支配には否定的でも、日本人教師には好印象を持っている人がいるいっぽう、日本語教育そのものに否定的な記憶を持つ人も存在。子どもと親で受け止め方が異なるケースもあります。
「日本による支配への評価と、教師個人への評価が必ずしも一致するわけではありません。同じ経験でも、どのような立場から関わったのかによって、受け止め方は変わってくるのです」
木下准教授が注目しているのは、記録の内容が「事実か、事実ではないか」ということではありません。戦争中に感じていたことと、戦後、あるいは何十年も経ってから過去を振り返ったときの認識は、必ずしも同じではない。なぜ人は過去の経験を、自分の人生のなかで改めて意味づけ、語り直すのか。そこに関心を寄せています。
「当時、フィリピンに派遣された日本人教師の多くは、もともと英語を教えていました。戦争の影響で日本で英語を教えることが難しくなり、英語ができる人材としてフィリピンに派遣された人もいます。そして戦後は、再び日本で英語教師として教壇に立つ。フィリピン時代の経験を良い思い出として振り返る元教師たちのなかには、こうした人生の流れのなかで、自分を『戦争の支配に加担した人間』というより、『どこにいても教師として生きてきた人間』と捉えたいという意識があったのではないか、と考えています」

一つの歴史を一面的に見ない。
複数の国や時代、立場から読み解く。
フィリピンの歴史を読み解くうえで、木下准教授が大切にしているのは、時間軸と視野を広げて考えることです。日本による支配だけを切り取るのではなく、統治の期間に何が起きていたのか、さらにその前後にどのような歴史があったのかまで視野に入れています。
「日本によるフィリピンの支配は1942年から1945年までですが、その間にもさまざまな出来事がありました。統治の初期と戦況が悪化した後期では、人々が置かれた状況も大きく異なります。地域や階層、関わった人々によって、その受け止め方はさまざま。どこに着目するかで、見えてくるものも変わってくるのです」
さらに、フィリピンの歴史を考えるには、「日本だけでなく、スペインやアメリカとの関係にも目を向ける必要がある」と木下准教授。フィリピンはスペインの植民地となった後、アメリカの統治を受け、日本による支配も経験しました。カトリックやスペイン語、英語、さまざまな制度など、異なる国の影響が重なって現在の社会が形づくられているからです。
「日本側から見ると、日本の支配によってスペインやアメリカの影響を受けてきたフィリピンに、日本独自のものを根づかせた、という見方があります。いっぽう、フィリピン側には、日本は破壊をもたらしただけだという認識もある。同じ歴史でも、どの国との関係のなかで見るかによって、意味は大きく変わってくるのです」


一つの国や地域だけを見るのではなく、複数の国や帝国の関係を重ね合わせて考えている点が、木下准教授の研究の大きな特徴です。日本による支配だけでなく、スペインやアメリカによる統治、その後のフィリピン社会の変化まで含めて見ることで、過去の出来事をより立体的に捉えることができるといいます。
「過去の出来事に対する評価は、社会のあり方や国際関係とも無関係ではありません。80年前の出来事であっても、今日の日本とフィリピンの関係や国際情勢によって、その意味づけは変わり得るのです。日本とフィリピンは友好関係にあるため、現地でも当時の出来事を肯定的に受け止める面があります。誰が、いつ、どのような立場から語るのかによって、同じ出来事の見え方も変わっていく。そこに、この研究のおもしろさがあると言えるでしょう」


一つひとつの史料を積み重ね、
見えなかった歴史を浮かび上がらせる。
歴史を立体的に捉えるために、木下准教授が向き合っているのが、過去に残されたさまざまな史料です。日本人教師が残した記録や公文書、現地の史料などを一つひとつ調べ、そこに記された人々の経験や記憶を読み解いていきます。
「現在は、国立国会図書館などが史料のデジタル化を進めており、東京まで足を運ばなくても、画面上で古い文献を閲覧できます。『日本語教育』と年代を組み合わせて検索するなど、史料へのアクセスは以前に比べて格段に容易になりました」
いっぽう、フィリピン側の史料を調べるには、現地に足を運ぶ必要があります。木下准教授は公文書館や大学図書館などを訪れ、検索システムがじゅうぶんに整っていないなかで、史料を一冊ずつ確認しながら地道に情報を集めています。
「史料を探しても、ほとんどの場合は何も見つかりません。現地まで行って、成果がないこともある。だからこそ、釣りに例えるなら、探していた史料がまとまって見つかったときは『大漁』のような感覚で、本当に興奮します。しかも、これまで私と同じ視点から研究に用いられてこなかった史料を見つけたときには、それだけで一本の論文を書けることも。そうした史料を一つひとつ積み上げていくと、これまで見えていなかった人々の経験や記憶が浮かび上がってくるのです。小さな発見を積み重ね、大きな山にしていく。それこそが、この研究の醍醐味だと思います」
研究を通して木下准教授が学生に身につけてほしいのは、物事を一つの方向から決めつけず、異なる立場や背景にも目を向ける姿勢です。歴史や社会の問題を「正しいか、間違っているか」だけで判断するのではなく、そこに至った経緯や人々の関係性まで読み解く。移民、異文化理解、教育、国際関係など、現代社会のさまざまな課題に向き合う際にも、こうした姿勢が生きてくるでしょう。
「一つの出来事でも、立場が変われば見え方は変わります。だからこそ、すぐに答えを出すのではなく、『なぜそうなったのか』『ほかの立場から見るとどうなのか』と考えてほしいですね。そうやって物事を多面的に見る習慣を身につければ、研究だけでなく、社会に出てからも役立つはずです」


木下 昭 准教授
同志社大学で政治学を専攻し、卒業後は大手電機メーカーのグループ会社で取扱説明書の制作に携わる。その後、立命館大学大学院や京都大学大学院に進学し、研究の道へ。複数の大学で講師などとして研究・教育に携わり、2026年からは大和大学の准教授を務める。